はじめまして!みいです。
ちょっと今日は自分のプロフィールを書いてみようと思います。
わたしのライフスタイル
子どもを産む前のわたしは仲のいい友達数人とスタバで笑い合ったり、ファミレスで朝までガールズトークして、そのあとノリで海に行ってはしゃいだり。
クラブや居酒屋をハシゴして飲み歩き、自由気ままに楽しんでるような感じでした。
子どもが生まれてからは遊び方がガラリと変わり、動物園や遊園地など子どもが喜ぶ・楽しめることが第一優先で、色んなところに出かけるように。
それでも夫・子ども・友達とはずっと仲が良く、結果的に子どもを産む前も後も毎日が楽しすぎて仕方ない、というライフスタイルを送っています。
ちなみに夫とは交際して10年になるんですが、周りからはお似合いだとか、兄妹みたいなどと言われたり、私たちの存在に憧れてくれる人もいました。
もちろん、夜泣きやイヤイヤ期など子育てがうまくいかなかったり、夫と口論になることもあるけど、そんな日々もひっくるめて楽しいし、幸せだなって感じています。
原因の分からない生きづらさ
ここまで読んでいただくと、ただの幸せアピール女と思われるでしょうが、この人生にたどり着くまで結構つらい過去をおくってきました。
そもそもわたしは集中力が極端に欠けていて小学校低学年の頃から授業中はずっと時計を見ながらボーっとしているか教科書に落書きしているかのどちらか。
クラス1勉強ができない女子でした。
集中力に加えて何かに対する意欲もなく、宿題はもちろん、集金袋とか大切な書類もしょっちゅう出し忘れたり無くしてたし、部活や習い事などどれも長続きしなくてサボってしまう。
どれだけ怒られても直すことが出来ず、ただただ原因不明の無気力感に悩まされていました。
小学生時代の人間関係では人の気持ちを考える事が出来ず、自分に従わせようと友達をモノみたいに扱っていたこともしょっちゅう。
そんなわたしに嫌気をさして、離れていく友達に対しては思うようにいかない苛立ちを感じることも。
子どもとは言えほんっとうに歪んだ考え方だったと思います…。
ところが中学生になると、それまでとは真反対に、人の顔色が気になって本当は嫌な事も相手に気を遣って嫌と言えなかったり、仲のいいグループに違和感を感じるように。
次第に仲のいい友達が離れていったり、イジメのような体験もしてきました。
当時はこの問題について真剣に向き合ってこなかったんですが、人の顔色を気にしすぎる生活は、高校を卒業してもなくなりませんでした。
自己肯定感が極端に低くて何事に対してもネガティブ思考。
嫌なことがあってもその場では相手の顔色やその場の空気を壊さないように我慢して、後から思いだしてムカついてくる。
「なんであんなひどいこと言われたのに言い返せなかったんだろう」って後悔するばかり。
勝手に嫌な記憶がぐるぐると巡ってきて何度も思い返してしまい、憎しみが膨れ上がって余計に苦しくなる、というループを無限に繰り返していたんです。
他にも
- 些細なことで傷つきやすい
- 嫌われないよういい子を演じてしまう
- 過去の失敗をいつまでも引きずる
- ネガティブで落ち込みやすく
- 自己肯定感や自己評価が低い
- 本心を抑えてでも相手を優先させてしまい
- 自分の気持ちを我慢ばかり
- 乗り気になれない誘いを断れない
- 責められたりきつい口調で言われると思考停止してしまう
- 彼氏への束縛依存、執着が異常
- 「コイツ気に食わないな」と思ったらもう関わらないなど何事にも極端に白黒決め込んでしまう
といった生きづらさを抱えていたのですが、
これは全部自分の性格のせいだからどうすることもできない
って思い込んでいたんです。
人生の転機
そんな中、子どもの頃からなりたいと思っていた保育士を目指して進学。
入学早々、案の定わたしは集中力がなく後ろの席で友達とスマホをいじりながら、喋っているだけ。
帰ってからは家族に内緒で友達とキャバクラやパーティコンパニオンのアルバイトをしながら稼いだお金で友達と服を買ったりと遊び惚け。
(枕営業をする方に偏見はありませんが一切経験なし)
本当に保育士になる気あるんかって感じですよね、汗
そんなわたしですが、優等生並みに集中して参加した授業が1つだけあります。
それが「気になる子」を取り上げる授業。
その授業で取り上げる「気になる子」とは、
友達に対して乱暴な子や、泣くとなかなかおさまらない子、なぜかクラスの輪から浮いてしまう子など。
その授業を通して学んだことは、
「こどもの姿には家庭環境が深く関わっている」
ということ。そして、
「解決せず成長するとその傷を抱えたまま大人になる」
この事実にわたしはカルチャーショックを受け、「これまでずっと寝てた心の中の自分」が起きたような感覚がしたんですよね。
この経験をもとに、
気になる子(子どもたちの危険シグナル)を見つけだし、心のケアをする
これがわたしの保育士になる使命だと感じ、それまでとは人が変わったように意欲的に勉強するようになりました。
「気になる子」や「児童虐待」をあつかう授業はとりわけ真剣に参加し、「気になる子も、正しく関われば改善していくこと」、「虐待は殴る、蹴るといった身体的暴力だけではないこと」など知識を深めていったのです。
ところで、常日頃から集中力がないわたしがなぜ「気になる子」や「虐待」について触れる授業にだけは意欲的に勉強できたのか?
それは自分自身が【気になる子】だったから。
わたしの劣悪な子ども時代
声掛けもなく急にビンタで叩き起こされたり、髪に櫛をからませただけでも思いっきり頭を殴られるみたいなことはしょっちゅうだった幼少期。
笑いながら首を絞められたり、「めんどくさいことはこいつにやらせればいい」とパシリのように扱われるなど、歳の離れた上きょうだいの兄姉や母親にはたくさん傷つけられました。
暴言や自己肯定感を奪うような言葉を頻繁に浴びせられ、機嫌次第で態度を変える家族の顔色をうかがい、出来るだけ怒らせないように気を遣って神経を研ぎ澄ますスキルも習得。
本当にひどいことをたくさんされたり言われたりしてきたけど、そんな家族でもわたしにとっては大切。
いいところもあるし。
だから母や兄姉が悩めば、わたしはいつでも味方になりカウンセラー役を努め、家族のメンタル調整を行ってきました。
でもどれほどわたしが家族の味方をしたところで、雑に扱われる日々は変わらない。
それにみんな傍にいてほしいとき、いつもいなかったんです。
母は小学2年生から6年生までの5年間、出稼ぎといって常に家にいなかったので、わたしは悪夢を見ようが熱が出ようが、学校でイヤなことがあろうが心に閉まっておく以外の方法を知りませんでした。
夜ご飯はもちろん無いので寝ることで空腹をしのぎ、朝は白米に塩や砂糖をかけて学校に向かう。
・・・
そして小学校卒業と同時に帰ってきた母。
補足ですがうちの家庭は母が出稼ぎにいかなければならないほど金銭的に圧迫した家庭ではありませんでした。
当時心に余裕のなかった母はどんな思いで何も言わずに家をでてったんでしょうね。
帰ってきたのも束の間。
中1になってわたしが学校でいじめられている時、母はその事実を知っていながら登校を渋るわたしを車に乗せ、学校に送り、その足で男の元へといってしまったのです。
この見捨てられた感覚、今でも鮮明に覚えています。人生であれほど母を求めたことはありませんでした。
娘のつらい状況を知った上で男を選んだんです。
その時に強く思いましたね。「わたしは存在価値がない人間なんだ」と。
誰もわたしを気に留めない、誰もわたしに気づかない。
自分の中の何かが黒くなってく感じでした。
でも寂しさって時間が経てば【慣れ】がくるんですよね。
だから小学生の時だって母がいなかった5年間泣き続けて過ごしたわけじゃありませんでした。
・・・
相手が亭主関白兼、俗に言うモラハラ男だったようで母は1年も経たないうちに帰ってきました。
都合いいですよね、イヤなことがあっても帰れる家があるんですから。
この男と終わってからくらいですかね、姉や母からの本格的な過干渉や支配的扱いに悩まされるようになったのは。
ちなみに高校時代の親から言われていた門限は17時でした。爆
もちろん遊び盛りだったわたしはそんなもん守れるはずもなく、平然と遊び続けていたのですが、
守れなければ、母と姉から「今すぐ帰ってこい」というメールと目を疑うほどの着信履歴の数。
完全にホラーです。
反論すれば、
「じゃあ帰ってこなくていいよ、今から〇ぬから。」
もう恐怖でしたね、しかも本当にやり兼ねないふたりだったので余計に。
・・・
…という感じで色々と内容が渋滞していますが、これでも端折った方なんです。
細かく言えばもっと色んなエピソードが出てくるのですが…
…まぁそんな経緯から「気になる子」や「虐待」に触れる授業は全力集中できたわけです。
そのおかげでわたしが子ども時代から
なぜ
集中力が無かったのか?
脱力感や無気力感に悩まされていたのか?
友達をモノのように扱ってきたのか?
人の顔色を気にしすぎていたのか?
原因が明確になりスッと気持ちが楽になったのを今でもハッキリ覚えています。
それから大学を卒業し保育士として働き出してからも、参考書を購入したりしてひたすら学び続けました。
大学の授業だけでは物足りなかったんです。
そして生きづらさを解消し、人生を楽しめるひとつの答えにたどり着きました。
それは、
生きづらさを解消するためには
【原因の本質を知ること】が超絶重要
だということ。
それと合わせて
この苦しみは歳を重ねるごとに増していく
ということにも気付かされました。
だからこそ、早い段階で行動しなければと思い、今まで自分が学んできたことを実践。
ところがどう行動しても、なかなかうまくいかない…
その理由が
ズバリ環境。
実家暮らしだったわたしは生きづらさの根本原因である実家族と共に生活していたので、なかなか解毒しきることができなかったのです。
どんなに自分と向き合い、生きづらさを解消しようとしても環境が整っていなければ高い効果は得られません。
その後わたしはすぐさま今の夫と同棲し、実家をでたわけですが、
【幼少期からずっと溜め込んでいた生きづらさ】を解消するには、【生きづらさの原因となっている相手と距離を置かなければ、ほぼ無理】だと痛感しました。
そして実家を離れてから実践すると、効果がどんどん出てきてわたしは人格が変わったように情緒が安定し、夫に束縛執着することもなくなり、嫌な記憶に縛られて異常な憎しみを感じることもなくなったのです!
ネガティブな考え方も自分の気持ちを我慢することもグッと減りました。
何より家族や友達、わたしと関わってくれている周りの仲間が大好きだし、毎日笑顔いっぱいで人生がとにかく楽しいと思えています。
わたしの信念
わたしは
この生きづらさの本質が幼少期の家庭環境にあるという事実を知ってから自分の中で決めていることがあります。
それは
「我が子には絶対にわたしと同じ思いはさせない」
私はたまたま大学の授業をきっかけに、そこから勉強を続けて生きづらさを解消し、家族や友達と幸せに過ごせていますが、ほとんどの人がこの事実を知らぬまま生きづらい人生を過ごしているわけで。
そんな人々がこの事実を知ったらどれほど気持ちが楽になるだろうと思い、このような活動をしています。
ちなみに保育士全員がこの授業を受けるわけではありません。
本気でよく考えるんですが、わたしは保育士を目指していなかったら99%我が子に自分と同じ思いをさせていたと思います。
手をあげていただろうし、自分の支配下に置いて子どもを人前で侮辱したり、自分の機嫌で当たり散らしていたはず。
夫はメンヘラなわたしに耐えられず、別れを切り出していたかもしれません。
そして人の顔色を気にしながら、自分の気持ちを我慢し続け、何度も何度も後悔したり「なんで私はこうなんだろう」と自分を嫌いなままだったことでしょう。
でもこうしてこの生きづらさと真剣に向き合ってきたからこそ、自分のこと、我が子や夫、友達が大好きだし一緒にいてとっても楽しい。という幸せな生活を手に出来ているのです。
唯一の後悔
わたし、今世紀最大の後悔をしていることがあるんですが、それは
「もっと早く生きづらさと向き合っとけばよかった」ってこと。
人間関係とかはたらき方とか自分の性格とかお金のつかい方とか…
なんでもそうなんですけど、この辺ほとんど全部家庭環境が影響しやすいんですよ。
わたしも自覚なかったんですが、若い頃のお金のつかい方が母親とまるで一緒でしたし。
とは言え、生きづらさって何をどうしたらいいか向き合い方もよくわからないし、結局後回しにしがちでめんどくさいですよね。
自分自身がそうだったからめちゃくちゃよくわかります。
でもあのとき早く向き合って早く改善の手を打っておけば、ここまで苦しくてつらい思いしなくて済んだだろうなって。
もうね、コレだけは本当に心残りです。
最後に
酷なことを言いますが、時間も人生も有限。
この限りある時間をどう過ごすかで人生を苦しいものから楽しいものへと変えられる可能性を広げることが出来ます。
もちろん決して楽な道ではないのは大前提ではあります。
実家暮らしだったとき、原因も分からず「どうして人生いつもこうなってしまうのか?」って自分を責めてばかりいたんです。
ずっと自分は人間社会の中の底辺に位置する人間だと思って生きてきました。
「だから不幸も仕方ない」ってつまらない人生から抜け出すことを諦めていたんです。
でもひょんなことから恋愛も友達も、そして何より自分自身も楽しく、そして精神的にも強くなってます。
この人生大好転の軌跡があなたの何かのきっかけになれば嬉しく思います。
ですから、ぜひそのためのインプットとして
わたしのSNSやブログ記事などの発信で学び、
あなたの人生好転に活用してほしいと思います。
長くなりましたがここまで読んでくれてありがとうございました!
ではまた!